ちぇりーの体験記


★中絶しようと思ったきっかけ

もともと腰椎椎間板ヘルニアがありL4、5の大きな右の変性と合わせて仙骨1番の変性で
軽い右の坐骨神経痛がありました。2人目の出産で左側にも変性が発生。
第3子ができた事に夫婦で手をとり喜びました。
週数が進むにつれて妊娠前には多少あった左右の坐骨神経痛と同時に体中の痛みが出始め
左右の腱鞘炎もが出始め手持ちのMRIデユープをすべて持ち整形外科を受診。
我慢に我慢を重ねて無理矢理出産しても育児は無理だろうとの判断をもらった。
効き目の弱い痛み止め、妊娠中効果は見込めず妊婦特有の反り身が出る事によって症状は悪化し続けるとの見解。
臨月まで持つのも難しいのは当たり前のような診断が下された。
夜は何度も痛みで目がさめてしまい横になって腰を布団につける事さえ涙を飲むような拷問とも思える生活が始まった。



★妊娠2ヶ月〜3ヶ月前半まで

産むつもりで、最終月経から翌月の生理が2日遅れた日に市販の妊娠判定薬を買いに行きました。
3日目に判定すると、薄いけど確認できる結果は陽性反応。ふたりで大喜びしました。
出産の病院も市内ではないけど産み収めという事もあり個室+産後エステがある
理想のところへ通院していた。
それはそれは楽しみに検診へ行っていました。なにも支障はなく気が早いけど
ベッドの場所を考えてノートPCに買い換えたり肌着を見て歩いたり哺乳瓶を安く手に入れたりしました。
疲れるとお腹の張りがたまにありましたが、のんびりしてマタニティライフを過ごしていました。



★中絶という現実が頭を占領し始めた

朝、起きれなくなってきました。身体が動かなくなり始め夜中も目がさめるように。
イヤな予感がしてきて、ゆううつな日々が続き常時、全身力を入れていないと呼吸が苦しくなって。
それまでは誰にも、なにも言わず2週間、悩みに悩みました。



★12週間際で

旦那様に打ち明けました。どうしても無理だという感覚が全身で感じられる・・・と。
もちろん、賛成するわけがありませんでした。
彼にとっては初めての子供でありましたから、そんな惨い事は想像もしていなかった。
絶対イヤだと言われて気まずくなる日々が続きました。
しばらくして納得はできないけど・・・と言って検診先の病院に事情を話し今回は断念しますと
伝えたところ、うちでは中絶をしていないから冷たいようだけど自力で探して、と言われ帰宅。



★火葬?埋葬?お骨になる?

ネットで見ていたら、こんな内容が。
12週過ぎると火葬が必要なんて考えてもいなかった。
そんな・・・と一度決定した勇気がグラついてしまった旦那様とちぇりーでした。
またしばらく、結果は出せそうにない状態に。



★でも無理だよ

とうとう動けなくなりました。この時点で16週。もうだめ。やっぱり無理だよ。
旦那様も実際に動けなくなる、ちぇりーを見て仕方ない・・・という形で中絶に同意。
別の産婦人科へ行き紹介状をもらいました。
翌々日の金曜日に診察へ行き週明けの月曜日に前処置をして火曜日に手術という事に。
前日の日に明け方まで旦那様と最終確認の話し合いをした。
しかし月曜日の朝、旦那様は先生に『もうやめよう』と言い中絶は双方の了解がないと一切できませんとの事で帰宅。
その日、双方の親まで輪に入って離婚問題も浮上の話し合いになった。結果はやっぱり中絶しかなかった。



★また病院探し

この週数になると近くには手術を受け入れてくれる病院がありませんでした。
自力で調べて都内某所にある事を知り相談。
受診の予約をし、金曜日に診察を受ける事になった。



★診察と入院の説明

エコー(腹部、経膣)で胎盤の位置や胎児の大きさ、骨格の状態、内診、血液検査などをして
手術にむけて準備がありました。
入院に際の説明や用意するものの話しなどを聞き入院日と手術方法などが決まった。



★同意書

形だけでなく本当に同意した事で意味があると前回知った私達。
今回が本当の最終確認という意味で旦那様に同意書へ署名、押印してもらった。



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